「津久井やまゆり園」で起こった残虐な殺戮事件の社会的背景を構成する要因の一つとして、「ヘイトクライム(憎悪犯罪)」が指摘されています。
事件は日本で発生しましたが、社会的弱者に対する無差別的暴力行動は欧米をはじめ世界各地で起こっています。
極右政党、優性思想、差別合理化、新自由主義、自己責任、不寛容、反知性などのキーワードが見え隠れします。これらを増幅し過激化させる装置として見逃せないのがSNSなどインターネットのツールです。
毎日新聞、NHKそして東京新聞に掲載された記事を重要な資料として当ブログに転載します。
理の眼
ただの殺傷ではないのに=青木理
毎日新聞2016年8月2日
神奈川県相模原市の障害者施設で入所者19人が刺殺された事件は、戦後日本の犯罪史でも最悪規模の残忍な凶行になってしまいました。と同時に目を向けなくてはならないのは、この事件が明確なヘイトクライム(憎悪犯罪)だという点です。
昨今の日本には、弱者や少数者らに憎しみを向け、悪罵を投げつけるヘイトスピーチもまかり通っていますが、それが直接的な暴力にまで結びついてしまうのがヘイトクライム。逮捕された容疑者は「障害者がいなくなればいい」などと供述しているそうですから、明らかなヘイトクライムです。
そうした事件の特異性と重大性のゆえでしょう、事件を受けて各国の指導者や要人もコメントを発しました。これも異例です。
各メディアの報道などによると、米国のケリー国務長官は訪問先のラオスでの会見で「ぞっとするような事件だ」「遺族に深い哀悼の意を表明する」と述べ、米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は「障害者への攻撃だったことが嫌悪と非常識さを一層際立たせている」と語りました。
ロシアのプーチン大統領は安倍首相に弔電を送り、「無防備な障害者を狙った犯罪の残忍さに動揺している」と伝え、フランシスコ・ローマ法王も「障害者施設への攻撃で命が失われたことを悲しむ」と弔意を示したそうです。いずれにも共通するのは、障害を持つ人びとという弱者が襲われたことへの衝撃と憤りでしょう。
翻って我が首相。さまざまな会合や会議で「許せない犯行」「真相究明に全力を挙げる」などと語ったことが報じられていますが、各国リーダーのように障害者が襲われたことへの問題意識は希薄。本来なら、会見を開いたり特別な声明を発したりし、こうした犯罪が許されざるべきものだというメッセージを発してもいいと思うのですが、これもなし。
昨年、ごうごうたる反発のなかで安保法制を成立させた際は「国民の生命と財産を守るためだ」と言い張っていましたが、一方で弱者や少数者の人権や尊厳を守ろうという意志は希薄で、これは現政権の特質と問題点をよく表しているように僕は思います。(ジャーナリスト)
障害者殺傷 社会が賛同するはずだったとの趣旨供述
NHK 2016年8月17日 11時53分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160817/k10010639301000.html
先月26日、相模原市の知的障害者施設で入所者が刃物で刺され19人が死亡、27人が重軽傷を負った事件で、入所者9人に対する殺人の疑いで再逮捕された施設の元職員の男が調べに対し、事件を起こした自分に社会が賛同するはずだったという趣旨の供述をしていることが捜査関係者への取材でわかりました。
この事件で警察は、相模原市緑区の知的障害者の入所施設「津久井やまゆり園」の元職員、植松聖容疑者(26)を15日、入所者9人を殺害した疑いで再逮捕し、17日、身柄を横浜地方検察庁に送りました。
これまでの調べで植松容疑者は、事件の動機として障害者を冒とくするような供述をしているということですが、その後の調べに対し、事件を起こした自分に社会が賛同するはずだったという趣旨の供述をしていることが、捜査関係者への取材で新たにわかりました。
植松容疑者は事件前のことし2月、施設の担当者から障害者への差別的な発言を撤回するよう注意された際にも「ことし1月から2月ごろにこの考えに気付いた。自分は間違っていない」などと反論していたということです。
捜査当局は、植松容疑者がこうした主張を持つようになった詳しいいきさつを調べています。
こちら特報部 相模原殺傷事件で考える 障害者差別の実態(下)
惨劇歯止め 歴史に学べ ナチス虐殺やハンセン病患者問題 「何が苦しみなのか、まずは知って」
東京新聞 2016年7月28日
「ヘイトクライム」に対する世界の目は厳しい。弱者差別の果てに取り返しのつかない惨劇を生んだ歴史の教訓があるからだ。
今回も、植松容疑者の言動にナチスドイツの優生思想を想起する人は多い。
ナチスは一九三三年以降、精神・身体障害、てんかん患者ら約三十万人に不妊措置を取らせた。「T4作戦」と名付けられた障害者の安楽死計画へエスカレートし、四一年八月までに七万人が殺害された。作戦中止命令後も、看護師や施設職員が暴走し、さらに十三万人が虐殺されたという。それがホロコースト(ユダヤ人大虐殺)へとつながっていく。
ドイツでは、戦勝国による裁判の後、「アウシュビッツ裁判」(一九六三〜六五年)など自国の裁判が開かれ、収容所責任者らの罪を追及した。
ドイツの戦後補償に詳しい金沢大の仲正昌樹教授(政治思想史)は「ナチスは優生思想と民族主義を結び付け、完璧な民族でなければならないという発想をした。障害者を差別する植松容疑者の潔癖さには、ナチスとの類似点を感じさせる」と通底する心性を見る。
日本国内で忘れてならない差別は、ハンセン病患者に対するものだ。医学的根拠もないまま、一九三一年に旧「らい予防法」を制定。九六年の法律廃止まで、国立療養所での隔離政策が続いた。元患者らは国家賠償を求めて提訴し、勝訴判決が確定している。国は誤りを認めて謝罪したが、ハンセン病問題に詳しい敬和学園大の藤野豊教授(日本近現代史)は、「医学や福祉の分野での過去の誤った歴史に対する検証はあいまいなままだ」と検証は不十分とみる。
藤野教授は、植松容疑者が犯行直後に書き込んだとされる「世界が平和になりますように。beautiful Japan!」との言葉に着目し、「かつてハンセン病患者のいない村をつくろうという発想があったが、その論理につながる。極端な例だが、一部の異常な妄想とは言い切れない」と危惧する。
近年、凶悪なヘイトクライムは海外でも相次いでいる。
米フロリダ州オーランドでは六月、レズビアン、ゲイなど性的少数者(LGBT)に人気のナイトクラブで銃乱射事件が発生し、四十九人が犠牲となった。ドイツ・ミュンヘンでは今月二十二日、男(18)が銃を乱射し、外国籍や移民の背景を持つ若者ら九人を殺害。この男はノルウェーで二〇一一年、極右思想の男が銃乱射などで七十七人を殺害した連続テロの影響を受けたとされる。
差別の連鎖をどう断ち切るか。
前出のみわ氏は、まず「何が差別かが社会に周知されていない。障害者が何をどう苦しんでいるのかを知らなければ、差別解消も何も始まらない」と訴える。
ハンセン病患者に対して「特別法廷」が開かれていた問題で、有識者委員会の座長を務めた金沢大の井上英夫名誉教授(社会保障法)は「世界的にテロが起き、人を殺すことに対する歯止めが緩くなり、人の命が軽くなっているのではないか。背景に貧困差別や劣等処遇意識があるのかもしれない。社会福祉政策などについても深刻に考えなければならない」と主張する。
前出の仲正教授は「民主主義社会では、好きではなくても他者の存在を受け入れなければならないが、インターネットの拡大などで、それを遮断して生きる人が増える傾向にある」と分析し、警鐘を鳴らす。「完璧を求めるから不寛容になる。気に入らないからと拒絶するのではなく、自分をコントロールし、共存するという体験を積める社会をつくらなければ」
デスクメモ
2016・7・28
駆け出しのころ「記者の仕事は死者の無念を伝えることだ」と教わった。理不尽に奪われた命を社会で共有するために記者は取材する。十九人が殺害された未曽有の事件で、県警は犠牲者氏名を発表していない。死者を匿名でしか語れない社会でいいのか。「悪意」に打ち勝ちたい。(洋)
相模原殺傷 識者に聞く
東京新聞 2016年7月28日
相模原の殺傷事件の容疑者が「殺害予告」した手紙には障害者排除の思想がにじむ。社会はどう向き合えばいいのか。慶応大の岡原正幸・文学部教授(障害学)と早稲田大の岡部耕典・文化構想学部教授(社会福祉学)に聞いた。
明らかに差別的な犯罪 慶大・岡原正幸教授
植松聖(さとし)容疑者が衆院議長に宛てた手紙は、社会福祉の負担を国家の損害と考え、国家としての対策(障害者の安楽死)を求めている。個人の志向でなく、国家的な優生思想(障害者は不要とする考え)を展開しており、容疑者を精神障害として対処するのは間違い。
容疑者は、施設で個々の障害者と個別の関わりを持てなかったから優生思想を持ったのだと思う。入所者を人格のある個人とみていなかった。事件は明らかにヘイトクライム(社会的少数者への憎しみに基づく差別的犯罪)。政府は断じて許さないという声明を出すべきだ。
事件の背景として、新自由主義にもとづく社会観が広がり、社会的コストのかかる「福祉の対象者」への風当たりが強くなっていたことが挙げられる。子どもの貧困や格差にも政府はまっとうな対応をせずに、個人の責任に任せてきた。容疑者が障害者抹殺の理由を、家族の負担、社会の負担としたことの意味を受け止める必要がある。「生」をコストとのバランスシートに乗せる風潮を反省し、社会全体として、生まれてきた「生」を障害のあるなしに関わりなく、尊重する態度を培う必要がある。
障害者と暮らす社会に 早大・岡部耕典教授
重度の知的障害がある息子を持つ親として、息子が殺されたような悲しい気持ちになった。だが、報道や世間の人たちは、事件を人ごととして捉えているように感じてしまう。
知的障害者を教育の場や地域社会から遠ざけることで、身近な隣人として感じていないからではないか。知らない人の痛みをわが事として感じることは難しい。地域で障害者とともに暮らせる環境や、そのための支援の充実が必要なのであり、事件を長期的な目で見てほしい。そうでなければ、被害者が報われない。
事件は障害者を標的にしたテロのようにも見える。安倍晋三首相は外国でテロが起きれば、「テロに屈しない」という談話を出すが、今回はない。差別をなくし、凶行を繰り返さないためにも、「障害者へのテロに屈しない」という強いメッセージが必要なのではないか。容疑者は「障害者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしていることが報じられているが、こうした断片情報が独り歩きして差別が助長されるのではないかと危ぶんでいる。一部の人たちが、容疑者に共感し、ヘイトクライムのきっかけにもなり得る。報じる側も責任を持ってほしい。
posted by ichi3 at 22:18| 東京 ☀|
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